「ペリーヌ物語」文庫版が発売。 やっとだぁ、うれしい。 もう26年... 幼児の頃から成長する過程で「ホルス」「ハッスルパンチ」「ど根性ガエル」「旧ルパン」「ハイジ」「コナン」「ペリーヌ」等に感動し、こんな作品を創る人達の所で仕事をしたいなぁと思っていた。
「ペリーヌ」でアニメ熱が再点火して日本アニメーションの作品を熱心に観るようになった。 当時放映中だった「アン」は正確な人物の動きや生活描写の再現に重きを置いている感じで、観ていて息苦しくなったが、凄いなぁ、学ばねばと思った。 日本アニメーションでは「ペリーヌ」と同時期製作の「未来少年コナン」にスタッフの多くが配され、ペリーヌは大変なスタッフ不足の中で1年間頑張ったそうだ。だから絵の質は荒れていた。スタッフの人達はつらかっただろう。それでもストーリーの良さとペリーヌの人物像の魅力で補って余りあった。 そんなこんなで日本アニメーションで胸一杯だった高三の夏、聖蹟桜ヶ丘の日本アニメーションに、描きためた絵を持って向かった。 学校からは、就職活動ということで出席扱いにしてもらった。 敷地には七夕飾り。短冊に「劇場版コナンが成功しますように!」と書いてあった。たぶん女性スタッフの筆だろう。 とても緊張して社屋へと向かった。平屋のプレハブが何棟か繋がった社屋。 アポイントを頂いて部長さんを探して、スタッフの人に聞いたら「 (西武ライオンズの)広岡監督そっくりな顔の人だよ」とニコニコ。 面接して頂いた部長さんに、作画の現場に連れていってもらった。 ベテランの森康二さんには、仕事の邪魔だよ、うさん臭いヤツだなぁという目でギロリと睨まれた。 恐かった。 若手の人達は「頑張って」と喜んで励まして下さった。 部長さんの話では、卒業後の春から、新シリーズをやってもらうが、まだまだ下手クソだし、プロとしては学ばないといけないことも一杯あるから頑張ってもらうよ、とのこと。 私は、馬鹿正直の世間知らずだったので、部長さんの言葉を聞いて、自分のような未熟者がプロの中に入ったら、足手まといばかりが多くて、会社に損を与えるのだろうと思った。 それで「足手まといにならないように、絵を基本から勉強し直してきます」 と言って会社を去った。 部長も「そうか...頑張って...」と言って下さった。 今なら、即戦力の能力には及ばなくても、とにかく入れてもらって懸命に実戦力をつけようと考えるところなのだが... それから、家庭の環境が激変したりで、人生は変わってしまいまったが、絵は勉強し続けた。 日本アニメションには心の負債を背負ったまま。しかしペリーヌの物語と共に呼吸をしていた頃の瑞々しい感覚は今も心の宝…
(2004年10月10日) |