ボールトン・ポール「デファイアント」
Boulton-Paul "Defiant"


ボールトン・ポール「デファイアント.I」 Boulton-Paul "Defiant.I"
全長:10.77mm 全幅:11.99m  主翼面積:31.9平方m 全備重量約3,770kg
発動機:ロールスロイス「マーリン3」液冷式12気筒1,030 hp×1
最大速度:489km/h/5,180m、航続距離:約750km
武装:後席旋回銃塔7.7mm機銃×4
乗員:2名

1937年8月、原型P.82試作機(K8310)が初飛行。
前方固定の武装を持たず、「大英帝国の至宝」多連装動力旋回銃座のみを装備した単発複座戦闘機。
ホーカー・デモン複座戦闘機の後継として、1935年に出された英国空軍の要求仕様F.9/35(360°旋回可の銃塔を載せた副座戦闘機)に応じて設計。
自社自身、動力旋回銃塔を製造するボールトン・ポール社の試作機が、競作機のホーカー社ホットスパーに勝り、87機の発注を得た。しかし試験等に手間取り、第二次大戦勃発時には発注は400機以上であったのに対して、納品数は3機のみだった。

1940年、ある程度まとまった数のデファイアントがフランスに送られ、初陣となったダンケルクの撤退戦では、ドイツの双発中爆やJu 87、Bf 110相手に戦果を上げた。
しかし、緒戦の成功は長くは続かなかった。
Bf109などの身軽な戦闘機に対しても、初めは、後方から不用意に近づいたら返り討ちという形で有効であったが、前方武装が無く、前方や後下方からの攻撃に対して全く無力であることに気づかれると、比較的鈍重な本機が、敵の単座戦闘機に対抗するのは難しくなっていった。
第一次大戦の頃に較べ、デファイアントが戦った第二次大戦初頭になると、軍用機の速度が急速に向上した。
軽快な単座機を操縦するパイロット自らが照準する前方固定銃に対して、副座機の銃手が自らの思い通りには動いてくれない自機と敵機の三次元的な位置の変化の中、旋回銃で敵機に命中弾を与えることは非常に難しいことだった。
草食恐竜のステゴサウルスが尻尾のスパイクを振り回し、好き好んで、戦いのエキスパートのアロサウルスの群れに殺し合いを挑むようなものかもしれない。

外見の似ている単座戦闘機ハリケーンの群れに混じり”擬態”して不意打ちを食らわすという戦い方でいくらかの成果を得たが、バトル・オブ・ブリテンでは限界であった。
昼間戦闘機としては馬脚を現してしまった本機は、1941年、マーリン20エンジン(1,280hp)に換装し、AI.Mk.4レーダーを装備した型が作られ、夜戦としていくらかの役割を果たすようになった。
しかし、1942年になると戦闘任務から外され、救助や練習機、そして、第一線からリタイアした大英帝国機の王道たる標的曳航機として余生を送った。

デファイアントは、第一次大戦の手強い副座戦闘機ブリストル・ファイターのような成功は得られず、スパッドA2的な迷機となってしまったようだ。
試行錯誤や迷機の多かった時代、バランスの良いフォルムにまとまった本機は、「大英帝国の至宝」多連装動力旋回銃座の土台として作られたような機体の割には、飛行機としての筋が良さそうな気がする。 普通の武装にすれば、シーファイアよりは空母からの発着が楽で、フルマーよりはちょっと強そうな雑用艦戦になりそうな...

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本機の動力旋回銃座は、銃手が乗り込むのにすら手間がかかり、飛行時の脱出となると、ほぼ不可能なシロモノだったらしい。
---実際に乗り組んで戦った銃手の回想---

Crazy☆Planetのマスターささきさんの生き生きとした描写の名訳です)

デファイアントの銃座。まず誰もが文句を言うのは天井の低さだ。首と背骨をS字に曲げないと収まらない。銃座の身長制限は 5 フィート 5 インチだったが、私は 5 フィート 9 インチあった。こんな銃座に志願するほど馬鹿な銃手は多くなかったので、志願した者は誰もが採用された。

「ライノ・スーツ」と呼ばれた専用のフライトスーツは酷いもので、何十人もの私の仲間を殺したが、他に換えはなかった。細かいことは忘れたが、なんせデファイアントではパラシュートの上に座ることも、その辺にぶら下げておくこともできないのだ。だからパラシュートをフライトスーツと一体化して着込むしかなかった。内層は今のウェットスーツのように密着し、その外側にパラシュートや浮船が作り付けられていた。脱出すると、ポケットや外装は自動的に剥落する(はずだった)

銃座に入る手順は、言葉で説明するだけでも奇妙である。銃座の一部がオレンジの皮を剥きかけたみたいに開口し、そこから背中を滑らせて機内に入る。身体が半分入ったら、手探りでシートを探す…シートと言っても、幅広な一枚布に過ぎないのだが。身体が全部入ったら、なるべく落ち着くようにする。手や頭を動かすたび、何もかもがその辺の機材にぶつかるのだ。

ひとたび銃座に着くと、空を制した気分になれた。一介の機銃手が戦闘機で飛ぶのだ!マーリンエンジンに引っ張られ、大空を飛び回るのは痛快ですらあった。だが銃座に入るのがこれほど大変ならば、飛行中、あるいは不時着時に緊急脱出するのは不可能とも言えた。不時着で助かった戦友が一人でも居たかどうか、私には思い当たらない。ならば「ライノ・スーツ」は何の為にあったのか?それは恐らく、我々に勇気を与える為だったのだろう。たとえ我々が、それによって助かる確率が無限に小さいと知っていても。

232,282,280 航空隊に勤務したデファイアント機銃手、フレデリック・「ガッツ」・プラッツの回想。

2009.5.8作成
  



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