インドネシアのwebサイト、iputan6.comのドキュメントコンテンツを観ました。 『Cheng Ho Sang Laksamana Agung』(偉大な海将チェン・ホー) 鄭和のことですね。 インド洋に偉大な足跡を残した海将、明朝に仕えたムスリム宦官の歴史ドキュメント。 美味しすぎます。 鄭和でしょ。明代の大帆船と航海者の事績でしょ♪ モンゴル出て来るし。 当時の情景を再現した歴史ドキュメント! インドネシア語のナレーションだし〜♪ 大好きな宋〜明代の大型海舶と、その南洋航海を卒論にした私としては、まさにツボ。 鄭和の来訪を受けた当事者の国の語りという点でも興味深いです。 以前、ボルネオのコタキナバルで、現地の人に教えてもらった伝説があります。 (現地語を耳で聴いて訳したものなので、多少間違いもあるかもしれません) ・コタ・キナバル(Kota Kinabalu)の由来 キナバルとはシナの未亡人の意味である。 遠い昔、この辺りの人々はキナバル山の中腹に住んでいた。 ある時、見知らぬ男が海の彼方からやってきた。 男はユナン人。 ユナンはシナの地の果てにあるという。 彼は、人間を悩ませていた悪竜を退治し、竜の財宝をもたらした。 人々は、今のキナバルの土地に降りてきて、 平和に暮らすことが出来るようになった。 男はひとりのキナバルの娘と結ばれた。 時が経った。 男は妻に、キナバルを離れ海を渡ると告げた。 かならず戻ってくると言い残して... キナバルの女は、来る日も来る日も待ち続けたが、 男は二度と戻ってこなかった。 それでも女は待ち続けた。 人々は、彼女のことを「シナの未亡人」と呼んだ。 ・・・ 「雲南」はマレー、インドネシア読みで「ユナン」です。 雲南は、鄭和の故地。 このコタ・キナバルの由来伝説は、鄭和が南洋を駆け抜けた、 遠い記憶が素材となったものなのかもと、ちょっと思いました。
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