ぬっぺっぽう

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ぬっぺっぽう
異名、類縁・・・「くんほう」/「肉人」/「ぬっぺら坊」/「のっぺら坊」/「ぬっぺっぽふ/「ぬっへっほう」/「ぬっぺらぱふ」/「封(ほう)」等。
「のっぺら坊」の旧い形態の妖怪と思われる。

徳川家康が駿河の国に住まっていた慶長14年(1609年)4月4日の朝、駿府の城に現れた。
城中の庭に、指が無く目鼻も無い小児くらいの大きさのものが、天を指して立っていた。
家臣達が騒ぎ立て、追い回し小山に追い払ってしまった。
その出来事を後に聞いた物識りが、
それは『白澤図』にある「封」であろう。惜しい事をした。
その肉を食せば不老不死を得、多力武勇に優れるという仙薬である。
主君家康公に召し上がって頂きたかった。あるいは近臣達が食せば、より一層お役に立てたものをと、無念がったという。
この「封」の姿は、後の鳥山石燕の描いた「ぬっぺっぽう」を彷佛とさせる。

小泉八雲の怪談で馴染み深い「のっぺら坊」は、人の姿をし、目鼻の無い顔を見せて驚かせる。
この「のっぺら坊」の姿は元々は、「ぬっぺり」と間が抜けて顔と体の区別もつかない形態の妖怪であったようだ。
鳥山石燕の「画図百鬼夜行」やその他の絵図でも、一頭身で肉の固まりのような旧い形態として描かれてある。

大晦日の夜の町中を彷徨い歩き、人に害は為さないが、腐敗した肉の臭いを漂わせるとも云う。
墓地や廃寺に現れるというのは誤りのようである。
鳥山石燕の「ぬっぺっぽう」の背景に喚鐘が描かれており、これを見た藤沢衛彦(風俗史家・民俗学者 1885-1967)が、絵面からの想像で「古寺の軒に一塊の死肉の如くに出現するぬっぺらぱふ」と解説したことから広まった解釈に過ぎないようだ。



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