白蔵主(はくぞうす)

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白蔵主(はくぞうす)
異名、類縁・・・伯蔵主、沢蔵司/澤蔵司(たくぞうす)

蔵主とは、経典を納め置いた経蔵を管理する役割の禅寺の僧のこと。
あるいは、一般の僧を蔵主とも言う。


昔、甲斐国(山梨県)の夢山の麓に、弥作という狩人がいた。
常に鼠を熊の脂で煮て、罠にかけては狐を釣り、その皮を剥ぎ取り市場に売ることを生業にしていた。
夢山に歳を経た狐がいた。
子供を沢山生んだというのに、そのほとんどは弥作に捕られ、わずか一匹が残るのみとなった。
親狐は、これを大変恨めしく思った。
宝塔寺に弥作の伯父で法師となった白蔵主という者がいた。
狐はこれをよく知っていて、ある時、伯父の白蔵主に化けて弥作の所へ行き、
「殺生の罪は重い。後生の差し障りなので、狐を獲ることをやめなさい」と言って、銭100貫文を与え、罠を持ち帰った。
しかし弥作は生計の立て難さを嘆き、白蔵主のところへ行き、子細を嘆いて、またもや銭を得ようと思い、宝塔寺に赴こうとするのを、狐が察して、白蔵主をたぶらかして喰い殺し、自ら蔵主に化けた。
その寺の住職をすること凡そ50年余となった頃に、同国の倍見(へみ)の牧場で鹿狩りがあった時、人々に混じって見物に出てみたところ、佐原藤九郎という郷士が飼っていた鬼武と鬼次という2匹の犬がいて、これに喰い殺されて、ついに正体を現してしまった。
白い老狐の尾には白銀の針のような毛が生えていた。人々は祟りがあるであろうことを恐れ、里の山陰に埋めて塚を造り祠を建て、現在では狐の杜と云われている。

能、狂言の『こんかい』(こんくわい/狐のコンコンという鳴き声、または狐のこと/演目『釣狐』のこと)は、この説話に基づき、人というものが悪い事だと知りつつ悪い道に入るのは、畜生の心と同様の振る舞いであると、固く戒めるために作為を加えた教訓なのである。
これによって、狐が法師に化けるのを白蔵主と言い習わし、法師が狐に似た行いをするのも白蔵主と人々の間に言い広められたのである。
大和のあしな寺の事にするのは、同様に、こじつけの説なのである。

画図文「白蔵主の事は、狂言にも作られて、よく人々が知っていることなので、ここは省略することにする」

(『桃山人夜話〜絵本百物語』より抜粋し現代語に訳す)


竹原春泉が『桃山人夜話〜絵本百物語』を描いた江戸天保の時代には、誰もが知るようなポピュラーな物語であったらしい。
今の時代では、狂言の『釣狐』として、興味がある人々が知る程度だろうか。
『釣狐』のみどころ、狐が罠にかからないように、手を出しては引っ込め、後ろを振り返り…ついに手を出してしまい、罠が首に巻きついてしまう場面は、獣の本性が滑稽なのであろうが、私は可哀想で観ていられない。

犬に弱く、そして襲われてしまう死に様は、芝右衛門狸に相通ずる。共に悪辣ではなく、むしろ善良なケモノの化生達である。人に化けた狐狸の結末として定型なのだろうか。

『諸国里人談』には伯蔵主という狐の説話がある。
小石川の伝通院の上人が京都から戻る時、伯蔵という僧に出会い、伝通院で上人から学ぶことになった。
伯蔵は真面目で優秀であったが、熟睡している時に狐の正体を知られてしまった。
伯蔵はそれを恥じて姿を消してしまったが、夜になると伝通院で仏法を論じていたと云う。

呪わしいのは、人の業。
白蔵主に化けた老狐は、元々の蔵主を殺しはしたが、それは一族を守りたい親の止むに止まれぬ愛によるもの。
50年余の間、人々に慕われる僧となり、日々を送っていたのかもしれない。
けだものであっても心涼やかな白蔵主の姿を描いてみたいと思った。


このサイトの著作者は、たま、/児玉智則です。
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