零戦設計者、堀越二郎氏の肖像

堀越二郎氏


2013年夏、アニメーション映画『風立ちぬ』の公開に合わせ、零戦の開発や設計者堀越二郎氏に関する書籍が書店に並んでおります。
web上でも話題となっておりますが、堀越二郎氏の画像は荒くて
小さなものしかありません。
そこで、堀越二郎氏の人物像について、もう少し感じ取ってみたいと思い、カラーの肖像を描いてみました。


堀越二郎氏は、明治36年(1903年)6月22日に群馬県に生まれ、昭和2年に東京帝国大学航空学科を主席で卒業。三菱内燃機株式会社(現在の三菱重工業)名古屋航空機制作所に入社。
入社6年目の29歳にして、七試艦上戦闘機の設計主任に抜擢され、更に九試単座戦闘機(改修の後に九六式艦上戦闘機として量産)、零戦、雷電、烈風と、国の命運を担う海軍戦闘機を開発していきました。
戦後初の国産機YS-11(ワイエス・イチイチ)の設計開発に加わりました。

この肖像は、昭和11年(1936年)5月3日、愛知県の江比間海岸にて撮影された写真を元にしています。
この時、堀越氏は32歳。国産機を世界一流レベルに引き上げた九六式艦上戦闘機が正式採用され、量産が始まった年です。
そして、零戦の原型となる十二試艦上戦闘機の計画要求書が海軍から提示される前年です。
設計者として一番充実した気持ちを抱いていた時期かもしれません。

堀越二郎氏は、どうも零戦よりは、九六艦戦の方が好きだったようだと、ご子息の堀越雅郎氏が語っておられます。


PHP研究所の月刊誌「歴史街道」平成25年9月号の「零戦と堀越二郎」特集用に描いた扉絵を使ってコマを割ってみました。
「零戦一一型/風は湧き上がる。さあ生きてみようじゃないか」
http://tamah.web.fc2.com/hikouki/text/kazetachinu.html


2013.8.14

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