ミッドウェイ
ミッドウェイ海戦の空母飛龍と米空母 |
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空母「飛龍」1942年6月ミッドウェイ海戦時
空母 ヨークタウン/USS Yorktown (CV-5)1942年
空母 エンタープライズ/USS Enterprise (CV-6)1942年
空母 ホーネット/USS Hornet (CV-8)1942年
毎年6月5日になると、心が穏やかではなくなります。子供の頃に観た「アニメンタリー決断」や読み漁った戦記物で、精神を完膚無きまで打ちのめされ、トラウマとなったミッドウェイ海戦の日。
過去幾万もの人々がミッドウェイ海戦の事は書かれておりますので、絵描きといたしましては、自作の絵に簡単な添え書きを加えたのみのページといたします。
私の文章は、食玩の「本体」のガムみたいなもんです。
「Midway Islands」は和訳すれば「途上の島々」、「way」は勿論「路」の意。スペルから言って「ウェイ」。
「ミルキーウェイ」「マイウェイ」「ゲートウェイ」「ヘミングウェイ」・・・「ウェー」ではちょっと変だ。
Google地図では「ミッドウェイ」表記。この島の戦いを描いた映画も「ミッドウェイ」、戦いを記念して命名された空母も「ミッドウェイ」表記。
しかし、昔の人のカタカナ表記が「ミッドウェー」だったため、島名と海戦名の表記は、相変わらず「ミッドウェー」が主流だ。
空母の発達史を詳しく勉強してみたわけではないので、よくわかりませんが、ほぼ同時期に作られた飛龍と米国のヨークタウン級空母を較べると、飛龍より若干排水量は多いとはいえ、ヨークタウン級は飛行甲板が長く幅も広い。日本の空母はだいたい幅が狭い。。出来得る限り広くした方が発着する飛行機にとっては楽だと思うのだけれど。
そして艦橋。この飛龍の他、赤城、加賀、蒼龍、翔鶴、瑞鶴の艦橋も小さい。もうちょい大きい方が使い勝手が良いんじゃないのかなぁ。
上にアンテナを立てれば通信能力もアップするだろうし。
日本空母の煙突は、右舷舷側から下向きに設けて煙を海面に向かってボワァ〜ッと。この灼熱の排煙が舷側にへばりつくように流れ、後方の部屋は非常に暑かったとか。
着艦する艦載機の邪魔にならないように、空母は煙突とその煙のあしらいには随分と苦心したようです。
日本の空母も舷側から下向きじゃイマイチかなと、飛鷹、隼鷹、大鳳、信濃は、米英の空母と同様のアイランド式艦橋に煙突を設けて、さらに舷側に向かって外側へと煙突を傾けてあります。
インド洋で日本海軍機に撃沈された英国海軍の空母ハーミーズは、古くて小さくて、地味なやられ役のようなイメージですが、
建造され就役した当初から、アイランド式の立派な艦橋と延長した飛行甲板と艦首が一体化し先端までを飛行甲板として延びたエンクローズド・バウを備えています。とても近代的☆
飛龍と同時期に作られたアークロイヤルと、その後の中〜大型空母も同様。日本で一番進んだ形の大鳳のお師匠様みたいな姿です。
ただし、そうした英空母のヴィクトリアスは、空母がほとんど無くなった米軍の助っ人に太平洋に来た時、アヴェンジャー雷撃機を運用するのに手こずり、空母としての能力の低さに米海軍に呆れられたとか。
やはり米空母はすごい。ヨークタウン級に続くエセックス級なんて、翔鶴と大差無い重さなのに飛行甲板は大和の全長より長い!100機も乗せられる!カタパルトとサイドエレベーター!近代的だ〜。被弾しても応急処置も巧みで沈んだ艦は無いし。金持ちなのに物も人も大事にする国だよなぁ。そしてゾロメカみたいに同型艦がいっぱい・・・
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ミッドウェイ海戦当時の日米艦載機 |
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零式艦上戦闘機二一型:空母「飛龍」搭載機1942年6月ミッドウェイ海戦時
全幅12m、全長9.05m、全備重量2,400kg、最高速度533km/h、航続距離3,350km、武装7.7mm機銃x3、7.7mm機銃x2、乗員1名
愛知九九式艦上爆撃機一一型:空母「飛龍」小林道雄大尉乗機1942年6月ミッドウェイ海戦時
全幅14.36m、全長10.81m、全備重量3,650kg、最高速度381km/h、航続距離1,470km、武装7.7mm機銃x3、爆装250kg × 1+60kg × 2、乗員2名
中島九七式艦上攻撃機一二型:空母「飛龍」友永丈市大尉乗機1942年6月ミッドウェイ海戦時
全幅15.52m、全長10.3m、全備重量3,800kg、最高速度378km/h、航続距離1,020km、武装7.7mm機銃x3、爆/雷装800kg魚雷1本または爆弾800kgまで、乗員3名
F4F-4 ワイルドキャット戦闘機 空母「ヨークタウン」VF-3 ジョン・サッチ少佐乗機1942年6月ミッドウェイ海戦時
全幅11.58m、全長8.76m、全備重量3,360kg、最高速度515km/h、航続距離1,340km、武装12.7mm機銃x6、、乗員1名
零戦に対応する空戦法「サッチウィーブ」の考案者。戦後、海軍大将にまで登り詰めました。
SBD-3 ドーントレス爆撃機 空母「ヨークタウン」VB-3 マクスウェル・フランクリン・レスリー少佐乗機1942年6月ミッドウェイ海戦時
全幅12.65m、全長9.8m、全備重量4,800kg、最高速度402km/h、航続距離2,160km、武装12.7mm機銃x2+7.62mm機銃x1、爆装545kg × 1、乗員2名
レスリー少佐の爆撃隊は、エンタープライズの艦爆隊と共に赤城、加賀、蒼龍に襲いかかり、レスリー機は攻撃に向かう途中で爆弾を誤投下してしまいましたが、隊を率いて蒼龍に向かって急降下、機銃掃射を加え、後続の部下達は3発を命中させました。
TBD-1 デヴァステイター攻撃機 空母「ホーネット」VT-8 ジョージ・H・ゲイ・ジュニア少尉乗機1942年6月ミッドウェイ海戦時
全幅15.24m、全長10.67m、全備重量4,500kg、最高速度332km/h、航続距離670km、武装12.7mm機銃x1+7.62mm機銃x1、雷装453kg魚雷または544kg魚雷 × 1、乗員3名
米空母に搭載されていた雷撃機は、当時旧式化していたデヴァステイター。ウォルドロン少佐率いるホーネット雷撃隊14機は戦闘機の護衛も無く日本機動部隊を襲撃し、デヴァステイターは全機撃ち落とされてしまいました。生き残ったのは、海に墜ちた機体から脱出したジョージ・ゲイ少尉ただ1人でした。
しかし、低空から果敢に攻めた雷撃隊に日本艦隊が気を取られている隙に、上空から舞い降りたドーントレスの爆撃隊によって南雲機動部隊は壊滅。
攻撃隊の搭乗員達は、決死の戦いでも遂行する人々。アメリカ人は戦上手な上に勇敢ですね。
飛行機と空母の図は、PHP研究所の『歴史街道』に描いたイラストに加筆したものです。
「歴史街道」http://www.php.co.jp/magazine/rekishikaido/
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